「じつはテコンドーの総裁になることが夢でした」
「???」
突然の柴田彰の発言に思わず絶句。
「といっても高校までの話ですが……」
飄々と答える柴田。なるほど、青少年の夢は大きいほどいい。清々しい限りである。
彼の仰天発言には理由があった。柴田はテコンドーに出会い、一目惚れしてしまったのだ。
「中学まで香港で暮らしていたんですけど、ある日、電柱に貼られたテコンドーのポスターを見つけたんです。女性の鮮やかなハイキックの写真で、それが凄くカッコイイんですよ!」
それ以来、彼の頭の中にテコンドーという響きがインプットされた。
中学卒業後、柴田は日本へ帰国。取手にある進学校に入った彼は、そこで運命的な出会いをするのだ。
香港時代はバスケに夢中で、『スラムダンク』の宮城リョータさながら電光石火のごとくスピーディーな動きを得意するポイントガードだった。そのまま好きなバスケ道を歩んでもよかったが、彼の中であるものが芽生え、武道へ方向転換する。
「ボクの好きな言葉『正義』を貫く生き方をしたいと思いまして。当事読んだ本に『力のない正義は無力なり、正義のない力は暴力なり』という少林寺拳法の教義が出ていて、それに深く感銘し、強くなりたい、武道を身につけたいと思うようになりました」
武道で真っ先に浮かんだのは、香港で見たテコンドーの美しい足技。
さっそく「テコンドー」をキーワードにネット検索してみるとビンゴ、なんと取手駅近くに道場があるではないか。胸は高鳴り、いてもたってもいられず道場を訪ね、即入門。夢にまで見たテコンドー修業をスタートさせたのだった。
あの華麗な蹴りを体得したい!柴田は無我夢中で練習した。
テコンドーは学べば学ぶほど奥が深く、興奮と驚きの連続だった。3200もの膨大な技、多彩な動きで構成された24種類のトゥル。そのトゥルがまたカッコイイのである。特に黒帯のトゥルは柴田の心を直撃、たちまちその魅力に嵌ってしまった。
来る日も来る日も練習に没頭。道場では飽き足らず、学校でも家の中でも反復練習。開門時間の午前7時半に学校へ行き、授業前まで廊下などで練習することが日課となっていた。校舎の窓を鏡代わりに、見よう見まねで覚えた有段者のトゥルを熱心に繰り返した。
(この集中度は凄い!どこでも練習する姿勢、故崔泓煕総裁の教えどおりだ。崔総裁は移動先のホテルでも航空機の中でも練習を欠かさなかったという。もしかしてこれは……)
柴田の凄いところは実技の練習だけでなく、知識を吸収する姿勢にもある。黄帯のころ「テコンドー総合本」を読破し、大会ビデオなども入念にチェック。細部にまでこだわりを持って研究する姿勢には脱帽する。
(その博識ぶりたるや、もしもテコンドーをテーマにしたクイズ番組の世界大会があれば、優勝確実!?)
テコンドー漬けの高校生活、それは刺激的で喜びに満ちた日々だった。この間、デビュー戦(埼玉県大会・トゥル緑帯の部)でいきなり優勝するなど、努力を実らせ、順調に成長を遂げていった。
2004年9月、ついに昇段のときを迎える。これで憧れていた黒帯のトゥルを思う存分、堂々と練習できるのだ。道場へ入門して3年、テコンドーオンリーの道のりを振り返り、感無量の瞬間だったに違いない。
「ボクはテコンドーに出会えた幸運に感謝しています。世界一テコンドーに感謝している男です」 それにしても柴田とは不思議な人物である。これほどまでに夢中になれること自体、ひとつの才能だ。この集中度は並みのものではなく、そこに無限の可能性、大きな力を感じずにはいられない。世に名を残したアスリートしかり、名作を生んだ芸術家しかり、彼らに共通するものは、目指すべきものに没頭することを日常の風景としてしまう感覚、エネルギーのようなものではないだろうか。柴田にはその資質が備わっているように思える。
2006年、柴田の情熱は形となって現れた。憧れの舞台で、彼の快進撃が始まるのだ。
全日本デビュー戦となった第16回全日本大会では、茨城代表として団体戦に出場し、団体トゥルで優勝。翌年の第17回大会で個人戦初出場にしてトゥル1段初優勝を飾った。以降トゥルでは王座を堅守し、三連覇を成し遂げた。マッソギでは第18回大会で3位入賞、続く今大会で初優勝し、二冠に輝いた。
今年の全日本は、柴田彰にとって生涯忘れられない大会となった。
トゥル、マッソギでのダブル優勝はもちろん嬉しいが、それ以上に感動の出来事に遭遇したのである。それは入門当初より良きライバルとして刺激しあっていた同門の酒井麻央とのトゥル1段決勝戦だった。酒井とはほぼ同時期に昇級し、昇段審査も同時に受けた良き仲間、良きライバル。
「いつか全日本の舞台に立って、二人で決勝戦を迎えよう!」
今大会で二人の誓いは実現された。優勝経験のある両者の試合は、名勝負と呼ぶに相応しい内容だった。
マッソギでも柴田の思いが実った。第15回世界大会日本代表メンバーとして共に戦って以来、親交を深めている田部勝巳の引退試合となる今大会で、自分が最後の対戦者となって全力で戦うことで、激励を送りたかったのだ。
マイクロ級決勝は、両者の気迫に満ちた白熱戦となり、田部の花道をつくるに十分なものだった。
そして、一番の理解者である母親の誕生日(3月9日)にマッソギ優勝のトロフィーをプレゼントするという約束を果たせたことが何より嬉しかった。
来る4月1日、柴田は第4回アジア大会代表選手として、カザフスタンへ出発する。初出場の第3回アジア大会からわずか一年半の間、彼は合計5回の国際大会を経験することになる。
海外での経験は、彼のテコンドー人生の中でも大きな影響力を及ぼしている。技術的にも精神的にも刺激を受け、モチベーションを高めてくれる。そして何より世界の様々な人たちとの出会い、テコンドーという目標を彼らと共有できる喜びを感じているのだ。
「日本代表としてみんなの期待に応えられる試合、納得してもらえるような試合をしたいと思っています。これまで培った経験を活かし、あの前回大会から一年半で自分がどこまで成長しているか、戦えるかを肌で感じたい。勿論出るからには優勝を目指します!」
テコンドーをこよなく愛する男、柴田彰。その胸に広がる大きな夢に向かい、これからもシバタ流に羽ばたいてほしい。
第15回ピーターカップ(ロシア・2007.12)
第4回アジア大会(カザフスタン・2008.4)に向けて強化練習
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