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20 回全日本大会 特別企画

Special  Interview Part2


20回全日本テコンドー選手権大会

優秀選手賞 
柴田 彰

       (シバタ・アキラ)

23歳/2段/指導員/茨城・取手道場

テコンドー歴 8

△第20回全日本大会戦績
・トゥル
2段 優勝
・マッソギマイクロ級 優勝
・団体トゥル 第
3

△過去の国際大会主な戦績
・第
15回世界選手権大会
 トゥル
1段 ベスト16
2回中国北京親善大会
 トゥル有段の部優勝
 マッソギライト級準優勝

△過去の全日本大会主な戦績
・第
17回〜19回大会 トゥル1段優勝
・第
19回大会 マッソギマイクロ級優勝

柴田彰はまったく不思議な人物である。世界大会出場権がかかる全日本を2ヵ月後に控え、なんと世界一周の旅を敢行したのだ。

52日間に及ぶ長旅を終えたとき、大会はもう11日後に迫っていた。

この春大学を卒業し、新社会人となる柴田は、さらなる飛躍を求め、敢えて冒険の旅にチャレンジした。

決して楽な旅ではなかった。言語が違う見知らぬ土地を一日中歩き続ける日。自然の脅威にさらされ、窮地に陥る経験も味わった。だが、目的地にたどり着いたときの達成感、旅の仲間たちと安堵の祝杯を分かち合う喜びは格別だった。様々な国の土地で育まれた偉大なる自然や文化遺産、様々な国の人々との出会いを通して、柴田は代えがたい貴重なものを得たようだ。

一方で旅を終えて迎えた全日本大会では、トゥル、マッソギで見事連覇を果たし、二年連続で優秀選手賞を受賞。私生活でも新社会人として新たなスタートを切り、すべてが順風満帆である。

熱い情熱をもってチャレンジし続ける柴田彰。彼の活躍はこれからも続く。

新たな飛躍への旅


 全日本大会2年連続 個人戦(トゥル・マッソギ) W優勝

第20回全日本大会表彰式 西直記会長より授与


世界への旅@ ギリシャ・デルフィにて

世界への旅A 美しいモナコの風景とともに


 世界への旅B モロッコでは
レンタルサイクルを利用し、各地を巡る

2007年4月 第15回世界大会にて(スロベニア・ブレッド)

2007年10月 中国北京大会にて(中国・北京)

2008年4月 第4回アジア大会にて(カザフスタン・アルマトイ)

2008年11月 カンボジア遠征にて(カンボジア・プノンペン)
■ 今回は新社会人となった柴田選手の初インタビューとなりますね。スーツ姿がとても似合っています。

まだ慣れないもので……。今は研修期間で覚えなければならないことが山ほどあり、緊張の連続です。

■ 
新春を迎え、おめでたいことが続きますね。全日本大会優秀選手賞受賞、就職、そして世界一周の旅もされたと聞きました。

はい。思い切って行ってきました。結果的には世界西一周旅行で、22カ国72都市を52日間かけて巡ってきました。

■ すごいですね。72都市とは、想像できない数です。興味深い旅のお話の前に、まずは全日本の話題から。二年連続優秀選手賞受賞おめでとうございます。

ありがとうございます。今はホッとしています。特に今回は大会を控え、長旅に出てしまったので、プレッシャーはありました。今回の優勝は喜びより安堵の気持ちというほうがピッタリです。

3月10日に帰国して、大会までカウントダウン11日。こんなにも長い間練習しないことがなかったので正直とても焦っていました。トゥルは旅先でも練習できましたが、二段に昇段し、初めて迎える全日本でしたので、不安はありました。マッソギに関しては、シャドーの練習をしたくらいで対人練習はまったくできていなかったため、もうこれはマズイ、という心境でした。でも帰国後の練習初日で感覚が蘇り、想像以上に身体が動いてくれたので、自信を取り戻せました。防具をつけての練習を2回、本格的なマッソギの練習は1回と、限られた練習しかできませんでしたが、自分が今できることとしてベストを尽くしました。たとえ、2ヶ月に及ぶ練習の空白があっても、今までの積み重ねがそれを補ってくれるだろうと確信していました。

■ 実際、試合はどうでしたか。

試合が始まると緊張しないタイプなので、トゥルは集中して自分の演技ができたと思います。マッソギでは世界大会出場権がかかる大会だったので勝負にこだわり、試合内容よりもポイントをとることに重点を置きました。田中彰選手をはじめ、他の選手たちの鮮やかな試合を見ると、反省点は多いですが……。

でも全日本での優勝は当然という意識でやっていますので、ここで負けるわけにはいかない。2006年に初めて国際大会に出場するようになったときから、意識を高く持って戦ってきました。そうじゃないと、世界の舞台で戦うことなんてできないと思いますから。

だから今できることを精一杯努力する。それはできたと思います。

■ では、興味深い世界旅行のお話について。今回、何故長期に及ぶ世界への旅を計画されたのですか。

学生を卒業し、4月から社会人となるので、人生の一区切りとして、一皮向けて成長したい、そんな思いで決意しました。「成長の旅」をテーマに、大学の友人3人で1月18日に日本を出発、旅先は意識的に普段訪れる機会のない発展途上国などを中心に選びました。

■ 訪れた国で一番感動した場所は?

たくさんあって絞れませんが、敢えて挙げるならば、スロベニアのポストイナ鍾乳洞です。世界一規模の大きい鍾乳洞で、そのスケールの大きさには圧倒され、もう感動しっぱなしでした。

また、クロアチアのドブロブニクは、町並みが本当に美しい。地中海に近い地方なので、気候も温暖でオススメです。

■ 以前TVでクロアチアを舞台とした旅番組を観ましたが、町全体に整列された赤レンガの家々と地中海の青がうまく溶け合い、本当に美しかったことを覚えています。

そうなんです。町全体が芸術作品と思わせるような素晴らしい光景でした。

■ 長い旅の道中で辛かったこともありました?

たくさんありましたよ。とにかく寒いところが本当に辛かった。クロアチアのプリトヴィッツェ湖群公園を訪れた際には、あまりの寒さに凍死するかと思いました(笑)。

■ えっ、凍死!?その地方はそんなに寒いのですか。

はい。プリトヴィッツェ湖群公園のある町は北方側に位置しているので、寒いと覚悟はしていましたが、想像を絶するほど極寒でした。帰りのバスを待つ1時間がどんない長く感じたことか。自然の厳しさを痛烈に感じた体験でした。

また、これは辛いということではないのですが、とにかく貧乏旅行の上に未知の国へのチャレンジが多かったので、国の移動以外、交通手段は主に歩きだったのです。重いバックパックを背負い、一日中歩き回る日もありました。時間の感覚は麻痺していました(笑)。

■ 本当に冒険旅行だったのですね。では国と国との移動は鉄道を利用したのですか。

そうですね。鉄道とバスがほとんどです。アフリカなどはフェリーで移動しました。

 うぁー、船もいいですね。楽しかった思い出も多かったのではないですか。

もちろん、楽しい思い出のほうが多かったです。モナコで「モナコグランプリ」の壮大なる道をずっと歩き、帰りはタクシーでその光景を味わいながら移動したこと、旅の途中で連れの三人がそれぞれ一人となって旅を続け、一週間後に落ち合い、互いの体験を報告し合ったり……。また、旅先ではユースホステルに滞在したのですが、各国でボクたちのような旅する若者たちと出会い、交流できたことが何よりの財産です。

一番の思い出は旅の最後の夜でしょうか。アメリカ・ラスベガスで最後の褒美としてちょっとした豪遊を楽しみました。レンタカーを借りてロサンゼルスからラスベガスへ移動し、カジノを体験したり、食べ放題の店で思いっきり食べたり……(笑)。これで最後だと思うと感無量でしたね。

■ 多くの思い出ができた世界への旅を終えて感じたことは何ですか。

最後までやり遂げた達成感でしょうか。苦しいことも含め、乗り越えられたことで自信をさらに深めることができました。だから、何でも許せる気持ちなんです。きっと心にゆとりができたのでしょう。

そして人生への感謝。世界の様々な人たちとの出会いを通して、互いの違いを認め合いながら、心を通わせ、交流できることの素晴らしさを感じました。

妥協より全力を尽くせ


テコンドーと出会い、輝く自分をを発見した柴田選手
(2008年3月 第19回全日本大会)


 戦いを終え、見片直人選手と熱い抱擁を交わす
(2009年3月 第20回全日本大会マイクロ級決勝戦)

1段トゥルで三連覇中だった柴田選手は今回の全日本でも
2段トゥルで優勝。その技術の高さを改めて周囲に示した

■ 今回の旅は、全日本大会前だっただけに、状況からして決断も容易ではなかったと思われます。迷いはありませんでしたか。

いや、即決でした。生涯二度とチャンスはないであろう世界への旅です。諦めたくなかった。両方選択しよう、全日本も優勝すればいいんだと思い、決断しました。

ボクは昔から何かの選択を迫られたとき、一方を妥協することがどうしてもできない性分なんです。一方を選んで事がうまくいったとき、次には必ず捨てた方にも未練が生まれる。また、選んだ方がうまくいかなかったときには、大きな悔いが残る。どちらにしろ妥協すると、いずれ後悔が生まれますし、心の葛藤があると、今打ち込んでいることへ集中力が落ちます。

だから、好きなこと、やりたいと思うことはいくつだろうと諦めず、全力を尽くすことがモットーなんです。限られた時間でもやり遂げられるという自信もボクのベースにあります。

昨年4月にカザフスタンで開催されたアジア大会のときもそうでした。ちょうど就職活動真っ只中で、周囲からすれば大会などに行っている場合ではないと気を揉んでいたでしょう。そのときも両方を選択しました。結果的に皆より就職活動に出遅れ、ボクの就職活動は4月後半から始まりましたが、自分の決断に言い訳はしたくなかったので、現状に対し最善を尽くしました。そして幸運にも第一希望の企業に就職することができたのです。

■ 物凄いパワーですね。自分の力で運を引き寄せているのですね。どちらに就職されたのですか。

外資系国際輸送会社です。営業部門に配属されました。

■ その企業を希望された理由は?

海外との繋がりを持つ仕事をしたいという思いがずっとありました。入社した会社は規模も大きく、物流を通して世界各地のネットワークを持っている企業なので「よし、ここだ!」という直感のようなものがありました。

■ 他人よりスタートの遅かった就職活動ですが、成功のカギはどこにあったと思いますか。

まず大学(日本大学)でテコンドー部を立ち上げ、育てたことや大学でのゼミ(国際関係論)でゼミ長を務めたことへの評価だと思います。そして帰国子女だったこともプラスアルファで関係しているかもしれません。ただ、テコンドーで培ったものへの評価がとても大きいと思います。

■ それは具体的にどういうことですか。

ボクがテコンドーをずっとやっていることが雇用される上で武器になっているということです。企業の中でも特に外資系は、スポーツなど、継続する力を身につけていることや自分の考えを相手に伝え、議論しあえるコミュニケーション能力、リーダーシップをとれる能力、新たなことを開拓できる能力を求めていると思います。ボクはテコンドーと出会い、そんな力を授けてもらったと思っています。本当にありがたいことです。

■ ということは、テコンドーをはじめる以前の柴田選手は現在の姿とは違っていたということですか。

テコンドーと出会う前のボクは、情熱的でも、また行動的でもなく、すべてを広く浅くこなすタイプの人間でした。

テコンドーが初めてだったんですよ。もっと知りたい、極めたいと思えたものは。何事もそつなくこなすボクの中に一本の筋がピーンと通ったという感じでしょうか。

「これだけは生涯続けたい」

そんな出会いができたこと自体、幸運です。テコンドーがボクを変えてくれたのです。

情熱が無限のパワーとなって


国際大会にも精力的に参加。写真はピーターカップ
出場後、訪問したITF本部にて(2007年12月 ウィーン)


日大テコンドークラブを創設。クラブ生たちとともに
(2008年11月 日大学園祭にて)


2008年12月 日本学生支援機構が主催する優秀学生賞
 を受賞。テコンドー初の受賞という快挙を成し遂げる

■ 一番変わったと思える点は?

自分に自信を持てるようになったことです。それも揺るがない自信です。

子供のころから正義というものに強い思い入れがあり、正義を貫く生き方をしたいと思ってきました。だから力をつけるため、武道をやろうと思っていた矢先、テコンドーに出会い、たちまちその足技に魅了されていました。初めはただ「カッコイイ」という単純な理由が先立っていましたが、やればやるほど、奥が深いテコンドーの世界にどっぷり嵌っていたのです。ただ「カッコイイ」だけでは片付けられない魅力、素晴らしさがテコンドーにはある。そして練習すればするほど、自分にどんどん自信が備わり、自分がテコンドーの代表であることを自覚するようになったのです。

■ テコンドーの代表?

そうです。生涯テコンドーをやろうと決意した以上、どこへ行っても自分がテコンドーの代表という意識を持って行動しなければならないと思うようになっていました。たとえば、就職の面接では、テコンドーの代表として審査官と接したつもりですし、その発言も今までの修練を通して学んできたことを伝えました。また、テコンドーの素晴らしさを少しでも多くの人たちに広めることが、代表である自分のライフワークだと思っています。学生時代は準公認のサークルとしてテコンドー部を立ち上げ、三年間精力的に活動した結果、4年生ころには大学公認のテコンドー部に昇格しました。テコンドーの試合成績も個人の問題だけではなく、広報としての意識も持つようになりました。自分の活躍や試合内容次第でテコンドーの認知度が高まるということを自分のモチベーションにしています。

■ うぁー、柴田選手の意識の高さには驚かされます。その情熱と崇高な精神が柴田選手の力の源となっているのですね。昨年は素晴らしい賞も受賞されましたね。

はい。日本学生支援機構より優秀賞をいただきました。これはスポーツ分野で一年間、大学や社会活動に貢献した学生を対象に毎年表彰されるもので、表彰式には各界の著名人が集まります。テコンドーでの受賞は今回が初めてで、その第一号になれたことに誇りを感じています。錚々たる顔ぶれが揃うこの席で、テコンドーの代表として表彰される喜びは格別でした。多くの人にテコンドーの素晴らしさを伝えたい、そんな思いでスピーチに臨みました。

■ 柴田選手の活躍がすなわちテコンドーの広報活動にもなっているようです。その情熱には頭が下がります。

そのように言われると恐縮です。ただテコンドーに恩返しがしたいだけなんです。自分を変えてくれ、自分の人生に光を与えてくれたことへの感謝の気持ちです。最近、社会人となって初めて道場に行ったとき、道場に通えることがこんなにも幸せなんだと改めて感じました。だからこの幸福感を一人でも多くの人に伝えていきたいと思っています。

■ 将来は指導者を目指しているのですか。

そうですね。ゆくゆくは自分の道場を持って人材育成に努めたいと思っています。また、青年海外協力隊として世界の発展途上国でテコンドーの普及活動もしてみたいです。

最後に、世界大会出場にあたり、抱負をお聞かせください。

トゥル、マッソギでの入賞を目指します。これまで培ったものを国際舞台でも出せるよう、残る期間で調整に励みたいと思っています。

世界への旅で大きく成長した柴田選手、国際舞台でもはばたいて下さいね。

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