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16回世界大会 特別企画

Special  Interview Part 2



16回世界テコンドー選手権大会

トゥル3段 準優勝 
木村 志穂

       (キムラ・シホ)

26歳/3段/副師範/府中道場

テコンドー歴 16年

−国際大会主な戦績
2009年 第16回世界大会 トゥル3段 準優勝

2007年 第15回ピーターグレートカップ
         女子マッソギ−51kg 準優勝

2005年 第14回世界大会 女子トゥル2段 3位

−全日本大会主な戦績
2009年 第20回全日本大会 女子マッソギ
          スーパーマイクロ級 準優勝

2009年 第20回全日本大会 トゥル2段 準優勝

2005年〜2006年 第16回、第17回全日本大会
        女子マッソギマイクロ級 二連覇

2005年〜2006年 第16回、第17回全日本大会
           女子トゥル2段 二連覇

十数年前、船水健二や蘇秉秀など、強豪と呼ばれる少年たちの中で、強烈な存在感を見せた少女がいた。

彼女は愛媛にテコンドーを普及した松友省三師範の秘蔵っ子で、男子顔負けの激しいマッソギスタイルを武器に、全国から集った対戦者たちを苦しめたものだった。

やがて少女は成長し、「全日本」という大きな舞台でチャンピオン・木村志穂として華やかな戦績を残す一方、指導者としての道を歩み、副師範という重責を担うまでになる。

そして、世界大会で殊勲の銀メダルを勝ち取ったいま、彼女はさらなる輝きを求め、新たなステージに臨んでいる。

躍動感あふれるトゥル

世界一を決する舞台で堂々と戦う木村志穂選手(VS朝鮮)

抜群の安定感と力強さは勝者を上回るほど素晴らしかった


会心の笑顔で声援に応える木村選手

木村選手の成長がJAPANに輝きをもたらしてくれた
世界大会銀メダル獲得、おめでとうございます。木村志穂選手にとって忘れられない日となりましたね。

とても嬉しいです。大会直前までコンディションがよく勝ちたいという気持ちはありましたが、二大会ぶり(四年ぶり)の世界大会なので、いざ試合となると緊張してしまい、正直ここまで勝てるとは思いませんでした。いま自分ができることを精一杯やればいいと思いながら競技できたのが幸いしたのだと思います。

とても素晴らしい試合でした。木村選手の勢いに満ちた演技は圧巻でしたね。日本代表選手団にも大きな力を与えたと思います。女子コーチの奈良岡和子副師範曰く、木村選手のトゥルを「躍動感あふれるトゥル」と称えていました。

そのように言っていただけて、とても励みになります。決勝戦の後に黄秀一師範からも「今日は動きが切れていてよかった」と声をかけていただき、本当に嬉しかったです。

トゥルの試合ではどんなことを意識されているのですか。

トゥルではいつも仮想の相手を意識し、動作をすることを心がけています。

朝鮮のトゥルは「見せる」という部分ではトップだと思いますが、私が理想としているトゥルはリアリティーにあります。たとえば、蹴りひとつでもミットを蹴るときのように、力強く技を出すことを意識しています。

なるほど、木村選手の躍動感あふれる動作はそこから生まれているのですね。

木村選手はトゥルの試合で必ずチェヨンを自由として選択されますが、見応えのある技で構成されているチェヨン・トゥルは、まさに木村選手のためにあるように思えます。

ありがとうございます。とにかく悔いのないように、自分らしく思いっきり競技しようと思っていました。自分の中では達成感があります。

世界大会でのメダルはこれで二度目となりますね。2005年オーストラリアで開催された第14回世界大会ではトゥル2段で銅メダルを獲得され、それに続く快挙です。自信を深めたのではないでしょうか。

今大会はチャレンジする気持ちで臨んだので、良い成績を残せてホッとしています。でも今回の銀メダルは、これまで私をサポートしてくれた周囲の人たちが取らせてくれたものだと思います。次は自分の力で勝ち取らなければならないと思うので、いまからがスタートです。

情熱が試されるとき


チャレンジでもあった世界大会。2年後の飛躍を予感させた

二度に及ぶ膝の怪我を克服し、パワーアップした姿で
戻ってきてくれた木村志穂選手


選手復帰後にチャレンジしたアジア大会。この後、
新たな試練が待っていた(2008年4月 カザフスタン)


第16回世界大会では女子団体戦にもエントリー。
世界を相手に、好試合を見せた


選手復帰後、初となる全日本大会では成長した姿を見せた
(2009年4月  東京・代々木 第20回全日本大会)
 

約半年間、強化練習を積んだ団体メンバーたちとともに
(2009年10月 ロシア 第16回世界大会)
チャレンジというところでは、マッソギの試合は本当の意味でチャレンジだったのではないでしょうか。昨年のアジア大会の怪我から復帰されて初めて臨む国際試合ですよね。

そうです。試合前までは思いきり行こうと考えていましたが、いざ本番になると慎重になり過ぎるあまり動きが硬く、積極的に攻撃を仕掛けることができませんでした。

アジア大会での悪いイメージが蘇る瞬間がありましたか。

考えまいと思っていても完全に取り除くことはできなかったようです。無意識のうちに身体にブレーキをかけていると感じました。マッソギに関しては反省点、改善点がたくさんあります。でもそれは、今後の可能性を見出せる前向きな課題なので、これからの自分の成長がイメージできます。

代表選手の多くが口にしていましたが、木村選手も今大会で得たものが多いようのですね。

総合優勝した朝鮮の女子の身体能力とテクニックは素晴らしく学ぶべき点が多いと思いました。私たちとは身体的な部分で非常に近いので、彼女たちのスタイル、メンタル面はぜひ参考にしたいですね。

朝鮮選手が優れていると思う点は?

身体の軸がしっかりしている点です。コアとなる深層筋、体幹部が強靭なため、バランスが非常によくて、どんな状態からも攻撃を仕掛けることができる。だから技も繋がり、チャンスを逃しません。これまで自分もコアトレーニングをしてきましたが、彼女たちを見てまだまだ足りないということを痛感しました。やらなければならないと思うことが山ほどあります。

木村選手にとって四年ぶりとなる世界大会は、他の選手以上に強い思い入れがあったと思います。これまでの選手人生を振り返ると、二度に及ぶ膝の大手術をされていますよね。選手として伸び盛りの時期に、長いリハビリ生活を余儀なくされました。この四年間は長かったのではないでしょうか。

この四年は自分が試されていた歳月だったと思います。膝の手術とリハビリの日々。練習から遠く離れた生活は、身体よりもメンタル面のほうがきつく、もう駄目だ、テコンドーをやめたいと何度も思いました。

困難な状況に直面する中で、私のテコンドーに対する情熱や意志が試されていたのだと思います。

辛い経験だったと思います。怪我をされたのは2006年秋頃でしたよね。

はい。道場での練習中に膝の靭帯を切ってしまいました。その後、手術を受け、10ヵ月間に及ぶリハビリ生活を送りました。

10ヵ月とは本当に長かったと思います。怪我をされた後に、道場の更衣室で木村選手の姿を目にしたのですが、大粒の涙を流す木村選手の姿から、そのときのショックの大きさを感じました。

落ち込みましたね。全日本大会に向け、これから調整していこうと思っていた矢先の出来事だったので、もうパニック状態でした。

この試練、どう乗り越えたのですか。

とにかく膝を早く治すことだけに考えを切り替えようと努力しました。故障の原因、治療法がハッキリしない間は不安だらけでしたが、手術をすれば、またテコンドーができるという医師の言葉を励みに、リハビリに専念しました。

でも頑張ろうと取り組んでも、これがなかなか上手くいかない。全日本大会に向けてみんなが練習していると思うと、辛くて悔しくて情けない気持ちで自暴自棄になることもありました。早く復帰したいと焦る気持ちとテコンドーから離れたいと思う葛藤の連続で悶々としていました。

そのとき、木村選手を支えたものは何だったのですか。

テコンドーの仲間たちの存在です。道場の仲間たちが毎日のように病院へお見舞いに来てくれて、私を励まそうと面白い話をしてくれたり、新しい情報を持ってきてくれたりと精神面でサポートしてくれました。本当に有り難かったですし、感動しました。

試練は苦痛とともに感動も与えてくれたのですね。

できれば苦労や試練は避けたい経験ですが、このような機会になって初めて他者からもらう思いやりの深さに気がついたり、感謝の気持ちが持つパワーに気づくのだということが分かりました。

試練は強者に与えられる


膝の靭帯手術を乗り越え、選手復帰。国際試合で見事銀メダルを獲得(2007年12月 ロシア ピーターグレートカップ

仲間に祝福される木村選手。苦難を乗り越えて勝ち取った栄冠だった(2007年12月 ロシア ピーターグレートカップ

女子−57s級チャンピオン(ブルガリア)と記念撮影
(2009年10月 ロシア 第16回世界大会)
 
リアリティーを追求する木村選手の力強いトゥル
(2009年10月 ロシア 第16回世界大会)


銀メダル獲得で、恩師である黄秀一師範の期待に応えた
木村選手(2009年10月 ロシア 第16回世界大会)


第14回世界大会でトゥル2段銅メダルに輝き、メダリストたち
と記念撮影(2005年7月 オーストラリア)

世界大会銅メダルを獲得した木村選手のトゥル。しなやかで
力強い演技が世界に認められる(2005年 オーストラリア)



女子コーチを兼任した奈良岡和子選手と勝利を分かち合う
(2009年10月 ロシア 第16回世界大会)

仲間の金恵順選手、ロシアの少女とともに記念撮影
(2009年10月 ロシア 第16回世界大会)

奈良岡コーチのアドバイスを受ける木村選手
(2009年10月 ロシア 第16回世界大会)

全国少年大会で活躍した少女時代の木村選手
(写真は月刊テコンドーNO58 1996年8月号より)


地元愛媛で開催された技術セミナーで少年部たちを
指導。未来の木村選手誕生なるか(
2008年11月)

選手復帰後は中四国大会に続き、国際試合に出場されましたね。ITF−ロシア主催のピーターカップ(2007年12月)は二度目の出場でしたが、マッソギで見事銀メダルを獲得しました!

まだマッソギに対する恐怖心や不安要素はありましたが、ロシアでは不思議と身体がよく動き、集中力も途切れることなく冷静な気持ちで試合に臨めました。リハビリを頑張ったと、褒美をもらった気分でした(笑)。

いやー、本当に嬉しかったことでしょう。木村選手以上に周囲の仲間たちが喜んだと思います。ただし、神様はここでまた木村選手に新たな試練を与えるのですね。翌年のアジア大会で膝の半月板損傷という大きな怪我をされました。

団体戦マッソギの試合中でした。跳び蹴りのジャンプ着地時に、軸足の膝がバキッと鳴って電流のような激痛が走り、その場で倒れこんでしまいました。もう立てない状態だったので、試合を途中棄権せざるを得ませんでした。

カザフスタンの病院に運ばれている間は泣きっぱなしでしたね。痛みと悔しい思いが入り混じり、軽いパニック状態になっていました。何をしにカザフスタンまで来たのか、みんなに迷惑だけかけたのではないか。もう自暴自棄になっていました。

人生最大の落ち込みですか。

もうこのときばかりは本当にテコンドーをやめようかと思いましたね。

最大の危機を乗り越えられたバイタリティーの源は何だったのでしょうか。

やはり人との繋がりでした。いつも応援してくれているテコンドーの仲間たちの存在だったり、トレーニングセンターの先生だったり、ときには勤めているジムの会員さんだったり。不思議なことに、テコンドーから離れたいと思うと会員さんなどから「テコンドー頑張ってね」と声をかけられるんです。これはもう離れられないんだなと、結局導かれている自分に気がつきます(笑)。

本当に不思議ですよね。最後はちゃんとスタート地点、初心に戻されている(笑)。

二度目の怪我のときは相当落ち込んでいて、テコンドーのことは一切考えたくない精神状態だったのですが、ある会員さんから水泳をやらないかと誘われ、膝のリハビリも兼ねてはじめたところ、これが結構面白い。水泳を通じて、テコンドーを始めたころに感じた上達する喜びや達成感を思い出したんですよ。

そして、負けず嫌いな気質が高じて会社の水泳チームにも入り、大会まで出るようになりました(笑)。

どうりで木村選手、肩幅が少し逞しくなりました(笑)。

水泳をしている間は何もかも忘れられるので、とてもリフレッシュできました。水泳を通して新しい仲間もでき、そこでまた気持ちが救われました。

何かに思い悩んでいるときは、そこからちょっと離れて別のことに没頭してみるのもいいものだと思いました。テコンドーから離れて水泳に取り組むことで、物事を客観的に考えられるようになり、自分の中に占めるテコンドーの存在、位置が再確認できました。

私からテコンドーを取ると何もないことに気がついたんですよ(笑)。

木村選手にとってテコンドーはどんな存在でした?

自分を映す鏡のような存在です。いつでも自分と向かい合うことができる。嫌でも向き合わされる。自分の長所や短所、課題などを教えてくれたり、私を成長させる心の糧のような存在でもあります。そしてテコンドーをしているときの自分が一番好きなんです。

これは今だからそう思えるのですが、膝の故障はなるべくしてなった結果だと思うんですよね。

なるべくしてなったとは、どういう意味ですか。

自分の長所に頼りすぎるあまり、弱点を補う努力を怠った結果というべきでしょうか。私の場合、ボディバランスが非常に悪く、筋力の強い部分と弱い部分がはっきりしています。それまでは強い部分に頼りきり、力任せに技を出していました。そんなことを繰り返していたら、一箇所に負担がかかり過ぎ、怪我をするのも当然です。もちろん当時はそういう考えには至らず、どうして自分だけがこんな目に合うのかと悶々としていましたが……(笑)。

バランスが悪いとは意外です。木村選手の蹴りは安定感抜群で、手本となるような素晴らしい蹴りだと思いますが……。

怪我をするまではごまかし、ごまかしで技を出していました。当時はそれでいいと思っていたんですよ。でもリハビリをする過程で、いろいろなことが分かりました。身体についてたくさん勉強しましたよ! ボディバランスを整えるトレーニングセンターには今も通い続けています。その過程で学んだ知識、トレーニングは目から鱗が落ちる発見でした。自分の身体の弱い部分、強い部分を把握し、トータル的に鍛えることで身体の動きは愕然と変わることをいま実感していますよ。

どんな発見がありましたか。

たとえば、筋肉を意識的に操ることです。トゥルをするとき、一箇所の筋力で技を出すのではなく、必要だとされる様々な部位の筋肉を使うことでとても力強い動作になります。バランスがよくなり、安定感が生まれる。身体をトータル的に鍛え、複数の筋肉を意識的に使うことで初めてテコンドーの動作が成立するのだということが理解できました。

なるほど、木村選手のトゥルがパワーアップした理由がここにあるようですね。

自分のことを分かっているようで分かっていない。テコンドー以外にもそういうことってたくさんありますよね。失敗やアクシデントはそれを気づかすための警鐘のようなもので、そこから再スタートすればいいのだと、自分の経験を通して思えるようになりました。

そう語る木村選手が頼もしい限りです。

そう考えられるようになったのもこの四年の経験があったからです。

この場を借りて、私と同じ悩みを抱えている選手たちにぜひ伝えたいことがあります。それは、決して諦めないでほしいということです。

もしダメージを受けて道に迷っていれば、ときにはそのまま流されてもいいと思います。

悶々と悩むときがあってもいい。少しテコンドーから離れてみてもいい。情熱だけは変わらずに持っていれば、周囲が自然とテコンドーへ導いてくれます。

いまリハビリ中の選手たちがいたとしたら、自分の身体によく語りかけ、提起された問題点を解決するトレーニングを積めば、いくらでも再開できるし、試合でも活躍できると思います。

木村選手からのメッセージ、怪我で苦しんでいる選手たちにとって何よりのエールだと思います。

経験者である私が頑張ることで、少しでも励ますことができれば嬉しいですね。

世界大会を区切りとし、再スタートを切った木村選手の次なる目標は?

やっとスタート地点に戻ってくることができたので、次は自分の力で結果を出したいです。次の世界大会までの二年間、提起された課題を計画的に取り組んで、強い自分を作り上げていきたいと思います。

二年後がとても楽しみですね。では最後に、未来のチャンピオンを目指す少年、少女たちに向けてアドバイスをいただけますか。

以前、母校の小学校で講演する機会があり、そのときにも話しましたが、夢は必ず叶うということを子供たちに伝えたいですね。夢の大きさは様々ですが、自分を信じて、諦めずにやり遂げることができれば、いつか必ず夢は実現すると思います。

私の好きな言葉は「I can do it」(やればできる)。

怪我を克服したとき、私はこの言葉が持つ意味を理解しました。

みなさん、やればできるんですよ!


躍動感あふれる木村選手のトゥルこの素晴らしい蹴りは世界一に等しい価値がある
二年後の世界大会に向け、さらなる飛躍が期待される(2009年 第16回世界大会)

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