■コーチの立場としての感想はいかがですか。
日本のトゥルに関しては申し分ないと思います。このまま磨いていけば、いずれ朝鮮を追い抜き、世界最高峰の地位を築くことができると確信しています。
マッソギに関しては、世界との距離は縮まっていると思います。各々が今大会で自分が体感して見つけた課題を消化し、実力を更に蓄えることができれば、次は世界により近づけるのではないでしょうか。
大会全般を通して印象的だったのは、やはり朝鮮の女子の活躍。彼女たちの試合は本当に素晴らしいと思います。何が素晴らしいのかというと、技術的には相手がどんなに強豪だろうと、体格が大きかろうと、戦い方が一貫していて決して乱れない。精神的にも絶対自分が強いという気持ちで試合に臨んでいます。相手の動きやレベルをよく見定めて一瞬の迷いもない。私たち日本人と同じような体格で、あそこまで高い技術の試合ができるのだと思うと、私たちのやるべきことはたくさんあることを感じています。
■コーチを務めながらも選手として活躍し、その一方でロシア語通訳者としても大忙しでしたが、奈良岡選手とロシアは深い縁があるようです。
そうですね。私が初めてロシアの地を訪れたのも世界大会に選手として出場するためでした。1997年の夏、開催地のサンクトペテルブルクへやってきた私は、この国に一目ぼれしてしまいました。
■具体的にどこが気に入ったのですか。
どこというのではなく、すべてが斬新で気に入りました。特に、ロシア語のインパクトは凄かったんです。
■ロシア語のどの辺が気に入ったのですか。
全く意味不明であることと、言葉の響きが美しいところです。
■美しいといえば、ロシアの白夜もいいですよね。
そう、白夜を体験できたことも新鮮でした。
■マトリョーシカもカワイイ。
マトリョーシカ、最高です!
■そんな思いが最高潮となって、2004年、ロシア留学を敢行されたのですね。
1997年の世界大会以来、いつかここに住みたいという気持ちが消えることはありませんでした。ロシア語を勉強してロシア社会とコミュニケーションがとりたいという思いもあって、どうせならこの際、ロシアで暮らしてみようと決断に至りました。
■うぁー、潔い決断力です。
いま行動に移さなければ、一生後悔すると思いましたから。やはりロシアへ行って正解でした。
■ロシアでは大会開催地と同じサンクトペテルブルクに滞在されたのですよね。
はい。語学学校に通いながら、週3回シモコフ道場に通いました。シモコフは現役時代、ロシアチャンピオンとして名を馳せたロシアでも有名な選手でして、日本で行われたモランボンカップにも招待されています。現在は多くの強豪選手たちを育て上げ、指導者としての評価を高めています。
■今大会でもシモコフ監督率いる選手たちは男女ともに強者だらけでしたよね。
こんなツワモノたちに混じって練習しただけあって、帰国後の奈良岡選手、パワーアップしてました。
シモコフは普段とてもやさしい人物なのですが、指導するときはとても厳しいんです。練習を一生懸命しなければ、容赦なく怒られます。
■コワオモテの選手でも怒られることはありますか。
集中していなければ、誰だろうと叱られます(笑)。
■ロシアの選手たちから学んだ点は?
テクニックに関して多くのことを学びましたが、特に彼らのメンタル面で刺激を受けました。
■どんな刺激ですか。
彼らは世界で優勝するのは当たり前のことだと普通に思っているんですよ。そのモチベーションが凄い。
■確かに、そういう風情が顔に現れていますよね。今大会でのロシア選手を見ますと、男子なら、年齢が若くても落ち着いていて鋭さを醸し出している。女子はというと、あの彫刻のような美しい顔が、試合では豹変し、ファイターの顔つきになっているんですよね。
そうなんです。自分の道場に何人も世界チャンピオンがいれば、強くなるのは当たり前だな、と納得させられてしまいます。
■やはりロシア留学は大正解でしたね。テコンドーだけをとっても、いまや世界ナンバー2の強豪国で修業できることは大きいと思います。そして、奈良岡選手が学んだロシア語にしても、ITF−JAPANへの貢献度は高い。国際大会の度に、各国のパイプ役として重責の担ってくれています。日本の組織にとって大変ありがたい存在だと思います。
ありがたいお言葉、恐縮です。私の語学力などまだ半人前で、もっとレベルを高めなければならないと痛感しています。ただ、たまたま惹かれて始めたロシア語が微力ながらテコンドーに役立てられているとすれば、嬉しいですし、好きなテコンドーと好きなロシア語を同時に生かせる今の環境は私にとって本当にラッキーだと思います。
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