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第4回世界ベテラン大会 特別企画

Special  Interview


4回世界ベテランテコンドー
選手権大会

トゥル6段・マッソギ−64kg級

優勝 
黄 秀 一

   (ファン・スイル)


第4回世界ベテラン選手権マッソギ-64kg級を制し、チャンピオンに輝く

世界規模で人気の黄秀一選手。各国選手たちが動画撮影で殺到

40歳/6段/師範/国際技術委員/
府中道場・ファラン黄道場

テコンドー歴/28年


国際大会主な戦績
1988年 第6回世界選手権(ハンガリー)
 団体トゥル 優勝

1992年 第8回世界選手権(朝鮮)
 マッソギライト級 優勝

1994年 第9回世界選手権(マレーシア)   
 マッソギミドル級 第3位

1999年 第11回世界選手権(アルゼンチン)
 団体トゥル 準優勝
2000年 第1回アジア選手権(日本)
 マッソギミドル級 準優勝

△全日本大会主な戦績
1回〜第3回、第8回 全日本選手権
 マッソギライト級 優勝

4回、第13〜14回 全日本選手権
 マッソギミドル級 優勝

6回〜第8回 全日本選手権
 トゥル3段 優勝

12回全日本選手権 2・3・4段 優勝

黄秀一は日本テコンドー界のエースとして活躍し、ITF−JAPANを支えてきた一人である。全日本優勝をはじめ、国内で華やかな戦績を築き上げる一方、国際舞台では日本初のマッソギ世界チャンピオンに輝いた。世界選手権でのメダル数は今大会を含めると、金4、銀1、銅1で、なんとも誇らしい結果である。

黄の魅力はなんといっても軽快なステップワークとスピーディーで鋭い攻撃にある。一瞬の隙から怒涛のように繰り出される攻撃に、場内はどよめき、緊張感が生まれるのだ。いつでも自信に満ち溢れた目を輝かせ、強者であればあるほど、一層燃えては不適に笑う。世界王者にも迷いなく強気に立ち向かうその姿こそ、皆が待ち望んでいる存在なのである。

2003年のギリシャ大会を最後に、黄秀一は15年間の選手生活にピリオドを打ち、後進の育成に専念している。指導者としてもその能力を発揮し、ITF−JAPANの技術向上に力を注ぎ、世界選手権日本代表選手団の監督を歴任、世界各地でのセミナー指導にも招かれるなど、活躍の場を広げている。

そんな中での7年ぶりとなる現役復帰。

「彼ならきっとやってくれる」。周囲の期待に応えるかのように、私たちのヒーローはまたも鮮やかに決めてくれた

スーパーな存在

圧倒的な強さで勝ち上がる黄秀一選手

7年前と変わらない動きで試合に臨む

「シニアの選手が出ている」と声が上がるほど、別格だった

力強くトンイル・トゥルを演じる黄秀一選手

世界では四回目となる金メダル!藤井トレーナーも祝福

盟友・朴禎賢師範とトゥル6段で対戦。金、銀を分かち合う

はじめに、久しぶりに黄秀一選手と呼ばせていただきます。トゥル、マッソギW優勝おめでとうございます。7年ぶりとなる国際大会出場で二冠達成はさすがですね。

試合は本当に久しぶりでしたが、楽しんで臨むことができました。現役時代とは違う意味で絶対に負けて帰れないという緊張感がありました。

■なにしろ、黄秀一選手への周囲の期待度は高いですからね。黄選手なら絶対勝つでしょうという暗黙の了解のようなものがありますよね。

これは現役時代と違うプレッシャーなんですよね。指導者という立場が自分に釘を刺しているような感じでしょうか。皆の模範となるような競技をしなければならない、負ける姿を絶対見せられないという思いがずっとありました。

■日本国内はもちろんのこと、海外でも指導者としてセミナーに招かれ、世界的規模で注目の存在ですから。指導者として活躍されるほど、選手としてのプレッシャーは増すばかりでしょう。

トゥルの試合では、自分でも硬くなっていたと思います。とにかく絶対間違えられないですからね。じつは過去の世界大会を振り返ると、トゥルの競技では、メダルにはまったく縁がなかったんですよ。

それは意外ですね! しかし、そんなプレッシャーの中でも優勝を決めてしまうとは、さすがは黄秀一選手です!
決勝戦は朴禎賢師範でしたね。なかなか見ることのできないドリーム対決!

お互いよく知っている間柄なので、やりづらくて力みが出たと思います。初めて試合でトンイル・トゥルを演じましたが、それもまた緊張しましたね。ただ自分も朴師範もそのような緊張感を楽しみながら、ベストを尽くすことに集中できる年代になったと思います。

■トゥルに続き、マッソギでも見事金メダルを獲得されました。世界大会と世界ベテラン大会で優勝されたのは、黄秀一師範が初めてなのではないでしょうか。そういう意味でも大変意義深い大会だと思いますが。

試合のブランクはありましたが、これまで準備してきたので落ち着いてイメージどおり動けたと思います。もちろん現役時代と同じような動きとはいきませんが(笑)。誰が見ても一目瞭然、明確に分かるようにポイントをとることを心がけ、余裕をもって動けたと思います。

■圧倒的な強さで優勝を決めたと聞いています。消息筋によると、現場では、黄秀一師範の試合を見て、ベテランではなくシニアの選手が出ているんじゃないかという指摘(?)が多数あったようですね。

まあ、そんな話があったと後で聞きましたが……。

■十分想像できるエピソードですよね(笑)。普段道場では、二十代の選手たちとバリバリのマッソギをしているわけですし、外見だってとても40歳には見えません! 対戦したベテランの選手たちからしてみては、「なにっ? ちょっと待て」となりますよね(笑)。

しかし課題はありますよ。欲を言うなら、もっと積極的に攻めるべきでした。落ち着いてはいましたが、「勝たなければ」という気持ちから慎重になり過ぎてしまったと反省しています。

■でも、もっと積極的に行かれたら、相手の選手がとても気の毒だったと思いますよ。「アンビリバブル!」(笑)。ところで、今回は長らくエントリーしてきたミドル級(−71kg級)からウエイトを下げ、92年に優勝した世界大会と同じライト級に戻されましたよね。

あまり深く考えずに決めてしまいましたが、正直なところ、後で少し後悔しました(笑)。ウエイトの調整はなんてことはない、とタカを括っていましたが、いざやってみると昔とは違い想定外に時間がかかってしまいました。外部の敵(食事の誘い)が多く、やはり減量は辛いものだと痛感させられましたね(笑)。

■現役を退かれて長い歳月が経ちましたが、何故今回出場しようと思われたのですか。

以前より40歳を節目に、再度試合にチャレンジしたいと思っていました。ちょうどその年齢になって今回のベテラン大会を迎えたわけですから、これも縁ですよね。今回チャレンジしてよかったと思っています。これまで国際審判として活躍されてきた朴禎賢師範とともに選手復帰できたこともいい想い出となりました。

■現役時代、朴禎賢選手とはトゥルやマッソギで対戦経験がありますが、今回もトゥルだけでなく、マッソギでも見たかったですね、二人の対戦!

ITFーJAPANの底力


第4回世界ベテラン選手権で総合優勝に輝いた日本代表

ジュニア団体戦終了後、監督として選手たちにアドバイス

世界ジュニア・ベテラン選手権強化練習で熱心に指導

大会会場近くの広場でウォーミングアップ(ベラルーシ


世界選手権日本代表の監督を歴任。国際舞台で活躍する
選手たちを多数輩出(2009年10月 第15回世界選手権)

■今回の日本選手団の結果が物語る通り、ITF―JAPANのトゥルの技術は世界トップレベルであることを実証したと思います。六段という高段位で金、銀を独占、四段で金と銅、三段で銅、女子二段は金、男子は銅、団体戦トゥルは金、そしてジュニアではトゥル女子1段で銀メダルを獲得しました。

確かに、今回の結果を受けて、改めて日本の技術に誇りを感じることができました。大会前までは、日本のレベルならいいところまで行くとは確信していましたが、それ以上の成果を上げることができたことは、ITF−JAPANの将来を展望するうえで大きな財産になったと思います。

■ジュニアは初の銀メダルですよね。初出場の田宮梨花選手が大健闘しました。

田宮選手はセンスのいい選手だと思います。技術力のある選手で、初出場の国際大会でも堂々と戦っていたのは立派です。

黄秀一選手の考える理想のトゥルとはどんなものなのでしょうか?

自分の考えるところでは、トゥルはテンポよく、そして正確な動作をダイナミックに演じることだと思います。形を巧く見せるのではなく、動作にリアリティーを持たせる。自分たちはそれをずっと目指してきましたし、今後もそこで勝負したいと思っていますね。
■黄選手の優勝は、トゥルのあり方を実証したわけですね。

自分たちが追求してきたことに自信はありました。ですから、今大会での日本の活躍は当然の結果でもあり、そして意義深いことだと思います。

■マッソギに関してはいかがですか。今回、黄選手の金メダルと佐藤元選手の銀メダル、梅田達哉選手のベスト8、そして団体戦マッソギで銅メダルを獲得しました。

ベテランに関して言えば、日本はメダルを取れる水準にあると思います。あとは経験ですね。肝心なのは試合が終わった後、それを受けてどのように考えるかということです。たとえば、メダルをもらっても次のことを考える選手と考えない選手とでは違いが出ると思います。

■その違いは大きいですか。

大きいですね。ときには雲泥の差が出ます。

■ジュニア選手たちにぜひ伝えたいことは。

ジュニアに関しては意識づくりですね。とにかく、みんなもっと欲を出してほしいです。海外のジュニア選手たちと比べると歴然としています。
彼らには日本にない雰囲気がある。それは、「絶対」という気持ちだと思います。そして、その「絶対」を全身全霊で表している。彼らより際立つ「絶対」というハートを持たない限り、日本に勝ち目はないと思います。

選ばれし者の理由


1992年、黄秀一選手が世界の頂点に舞うドラマチックな
瞬間。写真はテコンドー会報誌『月刊テコンドー』より


第10回世界選手権(1997年)で宿敵、ステファン・タピラート
と三度目の対決。
写真は『月刊テコンドー』より

第1回全日本選手権より活躍し、二階級で優勝を重ねる。
写真は2003年第14回全日本選手権大会



世界選手権の会場で朝鮮の選手たちと記念撮影
写真は1997年ロシアで開催された第10回世界選手権

指導者としても世界にはばたく2010年夏、チェコで行わ
れたセミナーに招かれ、各国120名の稽古生たちを指導


韓国各地で開催された「黄秀一師範セミナー」。
「鉄拳」ファランのモデルとしても有名で、サイン攻めに
合うほどの人気ぶり (写真は2007年韓国・仁川)


ITF総会に国際技術委員として参加する黄秀一師範
(2010年ベラルーシ・ミンスク)

ITF本部(オーストリア・ウィーン)訪問
ITF張雄総裁と記念撮影(2007年12月)

■黄秀一選手はその「絶対」を持っている一人で、だから世界の頂点に立てたのではないでしょうか。周知の通り、18年前、世界の錚々たる強豪たちがひしめくマッソギライト級で世界チャンピオンのタイトルを手にしたわけで……。これは世界の舞台でITF−JAPANが金字塔を打ち立てた瞬間でもありました。黄選手のいうこの「絶対」は、どうすれば手に入れることができるのでしょうか。

すべては、突き詰めて考える、問い質すことから始まるのではないでしょうか。先ほどもふれましたが、試合の勝ち負けに関わらす、試合の後に、結果だけではなく、技術、体力、試合運びなど、いま自分が置かれている状況、レベルと向き合い、問い質し、結論として出た課題をもってそれを克服するための練習をきちんとこなすこと、それに尽きると思うんですよ。

私の場合、出場2回目となる第7回世界選手権でステファン・タピラート選手(オランダ)と3回戦で対戦し、彼の総合力に深いショックを受けました。まるで子供扱いでしたから。遊ばれているかのように、自分の出す技出す技がすべてタイミングよくかわされ、絶妙なタイミングで的確に技を決められました。

屈辱でしたね。それまで蹴りには自信を持っていたので、なおさらです。自分の自信がこの相手には何の効力を持たないことに愕然としましたね。もう悔しくて悔しくて。あのときの体験は今でも頭の中で鮮明に残っています。

15年前、会報誌「月刊テコンドー」の中で、黄秀一特集記事を取材したときも同じように語っていましたね。「ノックアウトを食らうよりも悔しかった」と。

この借りは絶対に返す。二年後の世界大会で、必ずステファンに同じ内容をもってキッチリ返してやろうと思いましたね。その一念で二年間練習してきました。

■それを果たすべき時が92年の第8回世界選手権なのですね。

はい。その年はテコンドーを始めて10年目でもあり、しかも朝鮮・平壌での大会だったので、絶対優勝したいと思っていました。

■そしてステファン選手と再戦するわけですね。

キッチリ借りは返すと思っていましたが、いざ目の前にすると、内心「やっぱり来てるのか」と思ってみたり(笑)。とにかく互角に戦って、勝っても負けても「コイツ嫌だな」と思わせたかった。

■ステファン選手とは決勝戦で相対するわけですよね。まるでドラマのようですよね。クライマックスにそんなステージが用意されるなんて!

決勝戦は身震いしましたね。ついにこの時を迎えたんだと。

■そして有言実行してしまうんですよね。キッチリ借りを返して、なおかつ世界チャンピオンのタイトルまで手に入れてしまう。このときの勝因は何だったと思いますか。

ステファンは当時あまりいないタイプの選手で、人並み以上の脚力とバネがあり、前足の横蹴りだけで力強くラッシュしてくるのが特徴的でした。予想以上に伸びてくる横蹴りが相手の見切りを狂わせてしまうんです。これと同じことをやって、彼にプレッシャーを与えました。そしてステファンよりも動く努力をしたことで、よりハードにプレッシャーをかけられたことが勝利に繋がったのだと思います。

■これはぜひとも聞きたいところなんですが、このときステファン選手は世界チャンピオンで、いわば雲の上の存在だったわけですよね。そのような相手に打ち勝つことは並々ならぬ努力と信念がないとできないことだと思いますが、黄秀一選手を支えているものは何なのですか。

自分の課題を見つけたら、それを克服するため、諦めずにやり抜くこと。自信を持ってできるようになるまで続けることが当時も今も変わらぬ自分の信条です。これは少年部時代に師範たちから学んだことで、自分の哲学にもなりました。たとえば、ひとつの技を100パーセント習得するために、徹底的に練習します。中途半端では決してダメなんです。そのように苦労しながらできるようになったときの悦びは、何にも代えがたいものです。その悦びがひとつ、ふたつと増えていくことで、やがて大きな力となり、自分を押し上げてくれるパワーの源なのだと思います。

若いころは勝ちたいという一心で練習していましたが、今では勝ち負けだけじゃなく、自分の改善点を克服したいという思いからチャレンジし、それをクリアすることに悦びを感じられるようになりました。

■目標は実現するためにある。それを体現した黄秀一選手だからこそ、すべての言葉に重みを感じます。最後に、世界を目指す選手たち、全日本を目指す選手たち、そして未来のチャンピオンを夢見るジュニアたちに向けてメッセージをください。

目指すものを見つけたら、最低限どんなことがあってもやれるという自信を身に付けるまで準備すべきだと思います。その準備なしじゃ何事も叶わないでしょう。

しかし、その準備には、面倒だと思うことがたくさんあって、少しでも気を抜けば、怠ける心が生まれたり、言い訳の材料を探したり、最後には放棄する気持ちに至ります。

そのようなマイナスの状況に打ち勝つためには、情熱を持ち続けることです。自分を信じ、自分はできるんだという思いを失わないことです。

諦めてしまったら、どんなに努力しててもその瞬間で終わってしまいます。そんなんじゃ、つまらないじゃないですか。自分が抱いた夢、その情熱を大切にしてください。

やれば、できる。そう心に念じ、努力を重ねれば、夢は必ず実現しますよ!


       7年ぶりに選手復帰した第4回世界ベテラン選手権で二つの金メダルを獲得


『月刊テコンドー』に掲載された黄秀一選手の記事(1992年第8回世界選手権特集号)

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