「十度目の正直」だった。
2006年に初出場した国際大会から数えて10回目の大会。柴田彰はついに世界の頂点に立った。世界大会銅メダル、アジア大会銀メダルを獲得するなど、国際舞台で活躍してきたが、念願の金メダルには後一歩及ばなかった。
「これまでの努力が報われました」
「優勝」という事実は、その瞬間を迎えない限り、決して自分のもとへは訪れない。決勝戦を迎えても、勝敗はその瞬間まで決して判らない。
それでもただ一人、柴田彰だけは確信していた。
「2回戦で朝鮮を下したことで、『これはいける』と直感しました」
柴田にとって朝鮮は、いわば宿敵といえる存在だった。朝鮮との対戦は幾度も経験してきたが、その壁を破ることはできなかった。前回の世界大会では準々決勝で当たり、メダルへの道を阻まれた。
「それでも結果がどうあれ、僕の中ではいつも勝ったと思っています」
そうきっぱり言い切る。
決して虚勢でもなく、驕りでもない。むしろ彼からは風格すら感じられる。
これまで積み重ねた練習、研究、そして経験のすべてに裏打ちされた自信が、説得力をもって聞く側に次への期待感を抱かせるのだ。
今回の優勝舞台が、彼の最も得意とする3段トゥルによるものだったことも運命を感じさせる。力強くどっしりした動作の多い1段、3段トゥルは柴田の真骨頂、彼を輝かせる技の宝庫だ。
柴田は周囲の期待に応え、素晴らしい試合を見せてくれた。一動作一動作に命を吹き注ぐがごとく、力強くダイナミックな動きは、小柄な彼より大きい対戦者たちを凌駕していた。テコンドーの醍醐味に満ちた彼のトゥルは、世界大会という大舞台で金メダルに値する「名作」となった。
テコンドーとの出会いから14年。彼がずっと目指してきた大きな夢がついに実現されたのだ。19歳のとき、国際大会を初めて経験し、夢はより具体的なものとなって柴田の心に住みついた。そして10年の歳月を経て世界の頂点に立つことに成功したのである。
この日の栄光をつかむことができた理由、それは柴田の気骨稜々たる人物像に起因するであろう。目標に対してどんな努力をも厭わない気概と行動力が現在の彼をつくりあげてきた。その最たるはテコンドーである。
少年時代に見たテコンドーの華麗な蹴りが忘れられず、高1のときに道場へ入門。学べば学ぶほど、奥の深いテコンドーの世界にハマった彼は、練習に没頭する青春時代を過ごした。道場での練習だけでは飽き足らず、家でも、学校に行っても反復練習。開門時間の午前7時半に学校へ行き、授業前まで廊下で練習することが日課となっていた。練習は実技だけに及ばず、黄帯時代に768ページに及ぶテコンドー総合本を読破、大会ビデオを入念にチェックし、強者たちの試合を細部に渡り研究するなど、その集中力と行動力は並外れたものだった。
「勉強の虫」ならぬ「テコンドーの虫」と化した柴田の情熱はやがて形となって現れた。全日本大会出場2回目の年、全日本での快進撃がはじまるのだ。
個人戦初出場の第17回大会で達成したトゥル1段初優勝をスタートに、トゥルでは8連覇を成し遂げる(1段 第17回〜第19回三連覇、2段 第20回〜23回四連覇、3段 第24回優勝)。第25回大会では優勝を逃したが、第26回で優勝奪還に成功、今回の世界大会出場権を獲得した。
マッソギでも−50kg級で第19回〜21回三連覇、第24回大会では再び金メダルに輝き、最優秀選手賞を受賞した。
じつに見事な成績である。
やがて彼が目指すところは全日本に止まらず、世界に向けられるようになった。2006年に初出場した第3回アジア大会を機に、国際大会へ積極的に参加し、10度に及ぶ海外試合出場を果たすのだ。2009年の第16回世界大会では、トゥル2段銅メダルを獲得。翌年の第5回アジア大会ではトゥル第3位、2012年の第6回アジア大会ではトゥル準優勝を飾った。
そして2015年、ついに念願の世界チャンピオンになったのだ。
「今回は仕事が多忙の中、制限された時間内で練習してきました。決してベストな準備はできませんでしたが、過去の経験が生かされたのではないかと思います。主な練習といえば強化練習だけでしたが、これまで培ってきたものをベースに、意識を高め、考えながらトレーニングに取り組んできたことがよかったのだと思います」
2年前に転職した柴田は、これまで出場し続けてきたアジア大会(2014年第7回大会)を初めて辞退した。M&Aコンサルタントという未知の世界に飛び込んだ彼は、2年間は仕事に専念しようと決心し、これまで続けてきた海外修業や趣味の海外旅行も封印した。
柴田彰の人物像を語る上でもうひとつ、その独自性があげられる。それは人生のチャレンジャーであることだ。
テコンドーをベースに、彼はこれまで様々なことに挑戦してきた。大学時代はテコンドー部を立ち上げ、育てた。また就職する際には、こんなエピソードがある。
「第一希望の外資系企業に合格できたのですが、そこでもテコンドーで積み重ねたものが生かされています。テコンドーをやっていることが、雇用されるうえで武器になっている。面接では自分のこれまでの活動について話しましたが、その多くがテコンドーに帰結する。そして僕はテコンドーについて広報もしました。テコンドーの素晴らしさを語っているうちに広報になっただけなんですが(笑)。継続する力、コミュニケーション能力、リーダーシップ、開拓力など、すべてがテコンドーと出会い、授けてもらったチカラなのです」
そして彼のチャレンジ精神は止まることなく、5年間務めた好条件の職場を去り、M&Aコンサルタントとい未知の分野にチャレンジするのだった。
「以前から同じ場所でずっと働くつもりはありませんでした。様々な経験を積んで、いずれは起業したいと思っています。もちろんテコンドーと並行して。両分野ともにスペシャルでありたいです。テコンドーでは会員1000人を目指し、常設道場も構えたい。東京の南エリアの普及に力を入れたいと思っています」
仕事とテコンドー。柴田にとってこの両方がバランスよく彼を支え、発奮させてくれる存在なのだろう。
2008年に行ったインタビューの中で彼は印象的なことを話している。
「僕はテコンドーに出会えた幸運に感謝しています。世界一テコンドーに感謝している男です」
彼のこれまでの歩みを紐解くと、納得のいく言葉である。
「僕にとってテコンドーは、華麗な足技ではなく、人生の一部であり、バックボーンなんです。世界と繋がる共通言語であり、人生を豊かにしてくれる存在です。テコンドーなくしては自分の人生を語れません」
柴田がつくるブログのタイトルは「至誠たれば感天たり」。
テコンドー総合本から引用したもので、誠を尽くせば、願いは天に通じるという意味だ。
柴田の生きざまもまた、至誠たれば感天たり。
テコンドーをこよなく愛し、チャレンジする勇気と情熱、そして努力が昇華し、多くのものをつくり上げてきた。そして、世界チャンピオンという夢を実現したのだ。
きっとこれからも変わらない。至誠たれば感天たり。柴田彰はまた新たな夢を紡ぎ出していくのであろう。
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