二年前にインタビューしたときのアリーナ選手は、大きな瞳を輝かせ、未来への夢を語る美しい少女だった。初出場の世界大会で、トゥル、ルーティーン3位入賞という好成績にもかかわらず、その表情には悔しさが滲み出ていた。
彼女の夢は全種目で優勝すること。とてつもない大きな目標を力強く語っていたアリーナ選手が印象的だった。
そして二年後。全種目制覇までには至らなかったが、トゥル、マッソギでダブル優勝という快挙を成し遂げ、女子最優秀選手に選ばれたのだから、有言実行、夢は叶ったのも同様であろう。そして今大会総合2位という大躍進を遂げたウクライナの象徴として、アリーナ選手は祖国を輝かせた立役者となった。
弱冠21歳で女子最高峰に上りつめたアリーナ選手の強さの理由、それはなんといってもタフな精神力にある。
「この2年間、毎晩毎晩眠りにつく前に必ず思い念じたことが3つあります。ひとつは私自身の問題について。すべての痛み、疲労に打ち負けない気持ちを持ち続けること。もうひとつは、頑張っている私をサポートしてくれる人々を思うこと。最後に、私の心の中にいる神様を信じることです」
この意識が、この2年間彼女を支え続け、彼女の心技体を強化してくれたのだ。
両親はともにテコンドー選手出身、父親のナシチニュッツ・アンドレイ氏はウクライナ代表として活躍した。1999年アルゼンチンで開催された第11回世界大会では黄秀一師範と対戦した縁を持つ。
現在は代表団のコーチとして活躍する父のもとで、アリーナ選手は幼いころより厳しいトレーニングを受けてきた。練習では常に自分より強い相手、体格が勝る男子と戦わされ、恐怖心を克服してきたのだ。
「痛みを気にするな。怖いものを怖いと思うな。そのように、小さいころから父に叩き込まれました」
マッソギの試合では57kg級にエントリーした。ベスト体重53kgのアリーナ選手は、本来51kg級が望ましいが、仲間の選手との調整もあり、敢えて57kg級に出場。難易度を上げての優勝はあっぱれである。
リーチ差のある相手との試合では僅かなチャンスしか訪れない。ここで勝負するには、あらゆる角度での攻防を自在に操る能力を身につけるのが大前提である。アリーナ選手は前後、左右のステップの練習に一際力を注いだという。来る日も来る日も練習に明け暮れ、二年の歳月を費やした。
その努力が実り、世界大会出場2回目にしてトゥル、マッソギダブル優勝という素晴らしい成績を収め、大会MVPという世界ナンバーワンの座を射止めたのだ。
今回の快進撃、厳しいコーチ(父)といえども褒められたのではないかという問いに、
「まだまだ。全ての審判に認められる試合をしなければダメだ」と辛口感想を言われたという。
道場名通り、まさしくスパルタ。この父ゆえ、環境ゆえにアリーナ選手は強靭に鍛えられ、世界一という栄光を勝ち取ったのだと改めて実感した。
「テコンドーは私の人生そのもの」
2年前に行った取材の際、「あなたにとってテコンドーとは」との質問に対し、アリーナ選手はそのように答えた。
当時は言葉そのままに、テコンドーが私のすべてというニュアンスで受け止めていたが、その真意はマイライフ、実生活そのものを指しているのだと、今回再確認。
それこそ彼女の生活はテコンドーで明け暮れているのだ。
自らのトレーニングと道場で子供たちを教える日々。
青春の真っ只中、夢を実現するために、彼女はテコンドーにすべてを注いできた。
だから、頂点に立った今、暫しの休息をとりたいのかもしれない。
「次の世界大会にはトゥルもしくはマッソギの一種目のみで出場したいと思っています。これまでがむしゃらに頑張ってきたから、今後はゆったりとテコンドーを楽しんでいきたい」
将来の夢は、コーチとして世界にはばたく選手を育てること。世界チャンピオンを育てた父の精神はその娘へと受け継がれているようだ。
ウクライナの躍進は当分続くのかもしれない。
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